顔のないとき

去年の夏、個展を開いた際に見に来てくださったある方が、ご自身のブログに私の作品について記事を書いてくださいました。その文章はこう閉じられていました。「…昔読んだル・クレジオの『物質的恍惚』(新潮社)を思い出した。美術作品がこんな風に哲学を表現できるのか。」と。

「ぼくが生まれていなかったとき、ぼくがまだぼくの生命の円環を閉じ終えていず、や がて消し得なくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。…」

そう始まるこの本(豊崎光一訳)はとても不思議な本でした。エッセイと分類されたも のですが、詩のような、走り書きのような。そこでは“ぼく”であり“彼”であり“あなた”たであり“宇宙”“世界”が考える、 祈る、夢想する、追いかける、傍観する ほんとうのこと が 時間軸のない空間で、 まざりあい、繋がりあい、反発しあっていました。熱が膨張し流れるように、波が寄せ てかえすように、思考する言葉があったので、思わず口に出して、いま ここ に、わ たしの喉から、肌をふるわせる空気の中に漂わせてみました。呪文のように。共感するところもあるけれど、大部分が意味不明なので、この不思議な文章をもう少し 考えてみたい、と思います。

本文の中から、タイトルの言葉を選びました。
「・・・顔のないこの時、この場所からこそ、ぼくはやってきたのだ。・・・」